スーパーマーケットに行く

コペンハーゲン中央駅の付近のスーパーマーケットに行きました。
左の写真は、「イアマ」と呼ばれるキャラクターをのせた飲料です。
「イアマちゃん」ということで、日本にもそのファンがいるようですが、なかなか可愛いキャラクターであると思いました。
単純な線だけで表現しているにも関わらず、これだけの可愛さを醸し出しているというのは、さすが、北欧のデザイン先進国、デンマークだけあるなあと思います。

店内を散策すると、やはり、ヨーロッパ風のといいますか、当たり前のことではありますが、品物がすべてヨーロッパを醸し出しているという感じがしました。
海外旅行に出て、食事といえば、確かにレストランなどで名物を食べるなんてのも楽しいですけれど、地元のスーパーマットをのぞいてみるなんていう旅の楽しみもまたあるわけです。
そこには、珍しい食品が必ず置いてありますし、また、当然のことながら、レストランで食べるよりは食費を多少なりとも安くあげることが出来ます。
このスーパーマーケットで、カップヌードル風の即席ラーメンが売っていたので試しに購入してみました。日本では売られていないものでしたが、それは確かにカップヌードルであったと記憶しています。

ホテルの部屋で、湯を沸かして、そのカップヌードルを食べたのですが、味の方は問題なく、ただ、箸をもってくればよかったなあとちょっと後悔しました。
箸というのは、食事のときにたとえそれが西洋料理であっても、応用がきくもので、何でも箸を使って食べるということは、それなりに可能なわけです。
フォークを使ってそのカップラーメンを食したわけですが、やはりどうも勝手が違うものでした。
西洋には、スパゲッティーという食べ物があるにもかかわらず、どういうわけか日本のラーメンは同じ麺類なのに、箸で食べたいと思ってしまうのです。
ちょっと前に、日本のテレビ番組で、外国人がそばを音を立てて食べることができるか、そばをうまくすすることが出来るかということをやっていましたが、あれを見ながら、ああ、やはりそばというものは日本の文化なのであるなあと思いました。
そのテレビ番組は、外国人がそばを食べることがうまく出来ないことを日本人の視聴者が見て面白がるような内容、もっといえば、ある種の民族的、文化的なアイデンティティーというものを強制してくるような、映像的プロパガンダを番組の内容から感じなくも無かったですが、番組的にとても面白かったので最後まで見てしまいました。
日本が完全な西洋一辺倒の時代であれば、食事のときでさえ、それが西洋の食事であれば、西洋的なマナーを守ることが大切であるとされ、また一部のスノッブの間ではフランスだ、イギリスだ、イタリアだといった、ヨーロッパといっても西側先進諸国を基準とした西洋文化を一種の見本としてそれを崇めまつり、それをあたかも世界のもっとも進んだ文化であるかのような感じをもっていた時代があったわけです。
いまだに、そういう考えをもった人々はいるであろうし、僕もまたヨーロッパは好きな地域の一つではありますが、どうも、先にとりあげた「外国人はうまくそばを食べられるか?」という番組をみると、どうも、文化的な誇り云々を誇示しようとする一種の気張り(プリテンシャス)といったものが大いに感じられて、ちょっと違和感を感じてしまったのです。
そばを音を立てて食おうが、静かに食おうが、そばはそばではないか?というのが僕の考えです。
そういった食文化というものを論じていくと、ある種、急進的なナショナリズムというものの温床になりそうで、僕としてはあくまで、食べ物というのは徹底的に自分の好きなように食べればよろしいという考えです。
小学校時代に、「給食は三角にして食べなさい」と先生に言われましたが、それはどういうことかというと、給食を食べるときに、パンと牛乳とおかず、この三種があったら、それを順番に食べて行けという指示でした。
あまりに官僚主義的なその食べ方というものに僕は辟易し、どんな食べ方であろうと、あるいは、給食を残そうともいいではないか?という反骨精神の塊のような子供の一人になってしまいました。