空港から市内へ




コペンハーゲンの市内へは電車を利用しました。
デンマーク国鉄の列車が、コペンハーゲン中央駅まで走っています。

切符を買って、無人改札を通り、プラットホームまで降りていきます。
この国の駅にも改札口で乗客を厳しくチェックするということはやっていません。日本のように機械でもって不正乗車をする人間を取り締まるということがないのです。

そのかわり、定期的に切符がないにもかかわらずタダ乗りをしている人間がいないかどうかということをチェックしているようですが、それでも、改札がないということはとても快適です。

改札がないというのは、多分、人々の自主性を尊重しているということのあらわれなのでしょう。
日本でもし改札をなくして、デンマーク方式を取り入れたとしたら、おそらく不正乗車をしまくる人間が大勢出てくるのではないかなあなどと考えました。

それは、例えば、日本の電車に乗っていて、混んでいるときなど、われ先にと、シートに座ろうとする人々を多くみるにつけ、「ああ、なんという浅ましい光景だ」という感慨からでもあります。

通勤ラッシュがひどかったり、一時間以上の長距離通勤が当たり前という日本の事情もありますが、それでもやはり、「何とか他人を出し抜いて、自分だけシートに座ってやる!」という人々の情念を垣間見ると、情けないという気持ちを通り越して、とても残念な気持ちになることが多いです。

やはり、この国には純粋なる市民というものが存在しないのかもしれません。

共同体意識というものがあまりにも希薄であるということが、そのシートを奪い合うような人々の行動の心理を裏付けているという感じがしてならないのです。

ヨーロッパを旅していて、列車の中で乗客が我先にとシートを奪い合うという光景は見なかったものですから、ここにも日本と西洋の文化の違い、いや、もっといえば、日本の文化の停滞というものを考えます。

単純な西洋礼賛主義者、西洋万歳主義者にはなりたくないと思いつつも、やはり、生活文化という点で、西洋は見習うところが21世紀に入っても多くあるというのが僕の感想です。

列車から外の景色を眺める


空港からの列車の風景で、僕はデンマークという国を少々ながら知ったような気がしました。

そこにはだだっ広い平原が広がっており、国土が極度に平坦であることを感じさせます。
夕暮れ時であって、素晴らしい夕日を堪能することが出来ました。夕日というものは、どうやら国それぞれ違いがあるようで、かつてハンガリーの田舎を列車で旅行したときに見た夕日は、何種類もの絵の具を、空の中に溶かしたような幻想的な夕日でした。

デンマークの夕日は、もっと色が薄かったようであります。

いずれにせよ、僕は空港からコペンハーゲンの中心へ向かう列車の中で、それはほんの10分程度の時間でしたが、ある種の幸福感に酔いしれて、旅の始まりであるにも関わらず、もうすでに興奮して、半ば恍惚とした感情に陥っていました。

このときの写真がないのが残念ですが、感動のために写真を撮ることを忘れていたといいますか、いや、単に怠惰なだけだったのかもしれません。

怠惰というものを生活信条の一つとして掲げている人間にとっては、カメラを撮ることもまた仕事の一種であり、仕事であるからには何かこう、時には義務感を伴った疲労というものが襲ってくるものでありまして、そういうときは、風景を写真に撮るということは省略して、ただただその風景を見やって、自己の内面生活について振り返ってみたり、今まで見たことも聞いたことも無い異国の風景を現実に見ているという感動を、自分自身の心のネガに焼き付けるという作業の方が大事なのであります。

しかし、その作業すらも、自分自身にとって苦痛に感じられるときには、ひたすら目をつぶって瞑想に入るか、書をひもといてみるかといったことになります。いずれにせよ、「作業」と名前をつけた場合には、どうも労働の観念といったものが彷彿としてきまして、やはり、旅にふさわしいのは、何もしないことなのではないかという気もしています。

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