郊外の風景

カールスベアビール工場を見学したあとに、最寄り駅付近を撮影したものです。
僕はヨーロッパに出かけると、郊外の風景というものに目が行きます。
郊外の風景にこそ、そこに住んでいる人々の真の生きた生活が垣間見れるような気がするからです。
もちろん、旅行者にとっては、ある国に暮らしてみない限りは、郊外を見て歩くという行為そのものは、単なる観察に過ぎないことかもしれません。

ですが、人通りの少ない郊外の道を散歩していると、フッと、その国の住人になれたかのような錯覚を覚えるときがあるのです。もちろん、それは錯覚に過ぎないことですが。
これは真の生活の責任を伴わない旅行者の勝手な理屈に過ぎないことなのでしょう。
ですが、やはり、僕は郊外の風景を見ながら身勝手な想像を膨らませることを楽しみます。無機質で、無個性で、壁にスプレーで落書きなんかがしてある郊外の集合住宅なんかを、ヨーロッパの地で発見したりすると、「ああ、ここにも人々が暮らしを営んでいて、生活をしているのだなあ」と無邪気に感動するのです。

僕が通り過ぎた、この郊外の街の住宅には、北欧デザインの洗練も何も感じられないような建築物が多く見られましたが、そんなことは僕にとってはどうでもいいことなのです。
観光用に、しゃちこばった、ヨソイキのコペンハーゲンをみることよりも、厚化粧をしない、素顔の北欧というものを僕は短期間の滞在の中でも見てみたかったのです。
北欧は福祉国家の先進国だとよくいわれますが、僕が見てきた範囲では確かにそれは大方間違いがないと思いました。
ただ、コペンハーゲンに関していうと、結構、“都市の退廃”のようなものを感じさせる風景というものも感じました。それを発見できたことは大きな収穫だと思っています。

というのは、僕はコペンハーゲンに行くまで、北欧というのは、街にゴミが一つも落ちてなくて、建築物はピカピカで、人々の顔、形までもがピカピカ光っているという幻想のとりこになっていたからです。
あやうく、北欧礼賛主義の陥穽にはまるところでした。
海外を歩く楽しみというのは、あるいは、海外旅行をする楽しみというのは、一つは、自分の国と似たような風景を発見することと、もう一つは、自分の国に無いモノを発見することだと思います。
この前者の方、すなわち、自分の国と似たような風景を発見することに、海外の地において、あえて、観光地でもなんでもない、郊外を歩いてみるということの楽しみがあると思います。